経営者に、聞く。LEADER INTERVIEW
雷との共生で、未来に貢献

PROFILE音羽電機工業株式会社代表取締役社長吉田 厚氏
多様なモノがネットワークに直結する時代、静かに、だが着実に光の当たる企業がある。
“免雷”と呼ばれる無二の技術を磨き上げ、国内外で孤高の存在感を発揮するのは、尼崎に拠点を置く音羽電機工業だ。
オフィス、工場、鉄道、さらに家庭まで。あらゆる領域で雷被害と向き合う会社に、免雷の持つ意味合いと将来性を尋ねた。
電力需要の増大に応え 戦後の復興期を支える
初期のPバルブ避雷器
音羽電機工業が産声を上げたのは、戦後間もない1946年(昭和21)。その名が如実に語る通り、京都・清水寺のほど近くに会社を興したのは、現在の吉田厚社長の祖父にあたる亀太郎氏だ。当時、電柱で電気を絶縁する碍子(がいし)を扱う企業に勤務し、京城(ソウル)に赴任していた折に終戦を迎えた氏は、日本へ引き揚げ後、会社の解散を期に自ら新たなビジネスに着手した。企業名に「音羽」の2文字を掲げた背景には「千年以上流れ続ける清水の滝の如く、永続する企業でありたいという願いと、会社は皆のもの」という願いから命名。創業当初の音羽電機工業は、電力の引込安全器や電流制限器といった電力会社向けの設備製造からスタート。復興期の電力需要増加を見越して、苦労しながら事業を進めていった。
新製品 『信号回線用 SPD』 PRO-MONIシリーズ
さらなる転機となったのは、某電力会社からの「研究開発した避雷器の生産、販売を行わないか」というオファーだった。建物の屋上で、直接受けた雷のエネルギーを地中へ逃す避雷針については、私たちもおおよその見当がつくかもしれない。ただ一方で、当時電柱についていた雷の雷害から守る避雷器は、他社でもあったが、品質はまだまだだった。雷による停電対策がいまほどの高度化を見ず、雷の発生が電力供給に顕著な影響を与えていた時代だ。
創業から現在までの製品と 防雷技術の歩みを伝える 『雷ミュージアム』
各電力会社はより安定的なエネルギー源の確保に向け、配電設備に品質の良い避雷器を設置する必要があった。そんななか某電力会社から高圧用避雷器のノウハウを譲り受け、絶縁紙にアルミ箔を貼った自社製品・Pバルブ避雷器を形にした亀太郎氏。地道な営業努力を重ね、10年以上の歳月をかけて全国の電力会社へ販路を広げていった。紙式の避雷器の実用化は前例を見ないチャレンジだったこともあって、品質向上への努力も惜しまなかった。そんな祖父について、吉田社長は「初志貫徹でやり抜く人だったのだろう」と振り返る。結果として、現在では音羽電機工業の避雷器は日本の電柱の約6割をカバーするに至っている。
黎明期からの音羽電機工業の歩みを振り返ってみると地道な努力と、世の中にないものは自分たちで作り出すという精神が貫かれていることがよくわかる。
たとえば、避雷器の試験に使う電流発生器にしてもそうだ。自然の雷に近い強大なエネルギーを発生することができる試験器を自社で開発する。60年以上前に製造された試験機が、つい3年前まで現役で稼働していた事実からも、一貫したものづくりにかける思い入れの強さが理解できるだろう。
時代の変化に即する形で 雷という自然現象に立ち向かう
電力会社の設備保守に活路を見出した音羽電機工業だが、時代の移ろいとともにその守備範囲はいっそう拡大を見せる。まず特筆すべきは、建物の高層化への対応だ。雷という自然現象の発生を、人間はコントロールできない。その一方で高度経済成長期から我々の建築技術は日進月歩で発達し、大都市を中心に大型の建築物が林立するのが当たり前になった。それまで落雷は建物頂部に落ちるケースが大半だったところ、高層建築物にはその側面に落雷する危険性が増した。なおかつ表面積も増している。つまりは屋上のみの対策では足らず、建物各所に効果的に避雷針を設置する必要が生じ、音羽電機工業ではグループ会社の力も用いてこれに対応した。
電圧発生器
さらに近年の動向を見てみれば、IoT技術の進展を受けて仕事や暮らしに欠かせないあらゆる機器がネットワークに接続されるようにもなった。落雷の影響が電線や通信線、アース線などを経由して、パソコンや家電をはじめとしたさまざまなデバイスにまでおよぶようになった。
しかし、こうした情勢変化を音羽電機工業は決して見逃さなかった。「建物はインテリジェント化しましたが、そこにどう対処すべきか我々には長年のノウハウの蓄積がありました。避雷器をどう設置するかによってその性能は大きく左右される。地盤や電気の通りやすさによって、適切な判断を下す必要があります。雷対策の専門メーカーであるからこそ、お客さまの相談に応じて現場での調査・提案、対策を行ってきたことが糧になります」とは、吉田社長の弁。音羽電機工業は単なるメーカーの域を出て、雷対策のコンサルタントを強みとして持つようになっていったのだ。ネットワーク社会が進展する現代は、各種機器が小型化する一方で雷への耐久性に課題を抱える場合も少なくないという。なればと、コンサルティング機能を強化するのが、今日の音羽電機工業なのだ。
社会の仕組みを形づくり より必要とされる企業へ
オフィスビル
かつては設置が「努力目標」だった避雷器だが、いまやオフィスビルや商業ビルに必要な物として求められるようになってきた。その間、音羽電機工業は京都から大阪、そして現在の尼崎へと拠点を移して、着々と企業規模を拡大させてきた。避雷器を構成する素材も紙から酸化亜鉛素子と呼ばれる高機能なセラミックに置き換わり、それを開発した開発者を招き、基礎研究を徹底した。ここにも、未知の探求という社風を見て取ることができる。現在の吉田社長が4代目として社長業に就いたのは、2024年のことだ。学生時代は経済学を修め、大学卒業後は医療商社に勤務した青年に家業を継ぐ意識はまだなかったが、ひょんなことから検電器を製造するグループ会社・長谷川電機工業に入社。常に「どの環境に置かれても、そこで一生懸命やるしかない」との覚悟のもと、鉄道関連事業を中心にキャリアを重ねてきた。今以上に雷に関するコンサルティング力を高めたいというのも、吉田社長の腹案だ。そして、その目は日本のみならず海外にまで向けられている。
代表取締役社長吉田 厚氏
なかでも、東アフリカの内陸国・ルワンダへの技術支援は象徴的な事例。アフリカでも有数の雷大国であるルワンダは、目立った産業がないことからITによる技術立国を志向している。しかし政策の方向性とは裏腹に、そのインフラは脆弱な部分が否めない。中国メーカーも有るが、製品はあっても設置や保守が適切とはいえなかった。音羽電機工業では2015年のルワンダ人インターンシップ生受け入れを機に、同国を訪問。のちに帰国後は、現地パートナーとして連携し、免雷という形で国力強化に寄与している。人と人とのつながりを大切にし、国境さえも越えて社会の仕組みを支えたい思いが、吉田社長の胸のうちにはある。目下、吉田社長が思い描くのは社会から必要とされ続ける会社づくりだ。「一人ひとりが音羽を自分の会社と思えれば変わる。時間をかけてマインドを高めていきたいです」。関わる人すべてとの共創を是とする経営者は、免雷という営みを一段上へと押し上げていく。
What is
雷テクノロジセンター
日本で唯一の雷の研究施設『雷テクノロジセンター』
2008年、JR尼崎駅北口で操業していたキリンビールの工場跡地の一角を取得し、建設された音羽電機工業の心臓部ともいえる本社兼研究施設。同施設には世界最大級の雷を人工的に発生する試験器などがある。その一つである大電流発生器は、実際の雷に匹敵する最大22万アンペアまでの出力が可能。施設では毎日試験が繰り返されており、吉田社長は「開設当初は周囲の企業から『爆発があったのか』という問い合わせが寄せられることもあった」と笑って振り返る。これまで受け入れてきた見学人数は延べ4万5000人あまり。その中には著名な科学者や気象予報士、タレントなども名を連ねる。同施設には、音羽電機工業が手掛けてきた製品の変遷、雷に関する書物の他、雷をテーマにした食品やグッズなどを集めたミュージアムもあり、多方面から雷についての知識を深めることが出来るのも魅力。さらに同社では、20年以上にわたり雷写真コンテストも開催しており、その入賞作品を大判で眺められるのも、ミュージアムの見どころとなっている。雷を単なる恐怖の対象ではなく、雷との共生と捉えている。雷テクノロジセンターからは、同社のそんな哲学を感じ取ることが出来る。
企業情報
音羽電機工業株式会社
1946年(昭和21)創業の雷対策専門メーカー。自社開発の避雷器を軸とした免雷コンサルティングに長じ、その技術は大阪・関西万博、あべのハルカス、鉄道施設などの保守に活用されてきた。社是は「キラリと光れ」。国内でも例の少ない技術で、私たちの暮らしを陰から支える。
[ 本社 ]
尼崎市潮江5-6-20
tel:06-6429-3541
fax:06-6426-0535
URL https://www.otowadenki.co.jp

沿革
- 1946年
- 京都市東山区五条坂で有限会社音羽電器製作所として発足、引込安全器の製作・販売を開始
- 1947年
- 音羽式電流制限器の製作を開始、各配電会社に納入
- 1950年
- 中国電力株式会社から紙アレスタの製造権を受諾、Pバルブ避雷器の製品名で製造開始
- 1955年
- 株式会社に改組、商号を音羽電機工業株式会社に改め、本社を大阪市北区に移転
- 1961年
- 東京営業所を開設、低圧用Pバルブ避雷器納入開始
- 1971年
- グループ会社・長谷川電機工業株式会社を設立
- 1980年
- 低圧電源用LGL避雷器を開発
- 1997年
- ISO9001(JIS Z 9901:1994)を認証取得
- 2000年
- ISO14001を認証取得、本社事業所を尼崎市に設置
- 2004年
- 国内初の酸化亜鉛形クラス I SPD、クラス II SPDを開発
- 2008年
- 尼崎市に雷テクノロジセンター開設
- 2014年
- グローバルニッチトップ企業100選にて、
経済産業省より「ネクストグローバルニッチ」に選定 - 2024年
- 吉田厚が代表取締役社長に就任

