経営者に、聞く。LEADER INTERVIEW
時代の求めに、杭を打ち込む

PROFILE吉野建設株式会社代表取締役吉野 明嗣氏
構造物がその安定性を維持するには、
質の高い確かな地盤固めが重要になる。
杭打ち工法は、その代表例の一つだ。
とび職出身の創業者が築き上げた会社は、
いまや海上、陸上を問わず多くの現場で、
持てる力をいかんなく発揮している。
その会社の名前は、吉野建設株式会社。
都市インフラの土台を支える2代目に、
堅実一路な経営ビジョンを聞いた。
責任感に突き動かされて未知の世界へと飛び込む
北は北海道から南は沖縄に至るまで。大阪市福島区で半世紀以上にわたる歴史を重ねる吉野建設は、海上・陸上・河川という3つの領域で杭打ちによる基礎工事を手がける。その技術力は、港湾施設や堤防、道路などの安全性を高いレベルで担保している。
本社を拠点に、全国の施工を支える
会社の起こりは、創業者で現在の吉野明嗣社長の父にあたる惇氏の強い責任感によるものだった。兵庫県新宮町(現・たつの市)の農家に生を受けた惇氏は、5人きょうだいの長兄。一番下の弟とは17歳も年が離れていたことに加え、家業も決して順調というわけではなく、おのずと父親に代わる役割を果たさなければとの使命を胸に抱くようになったという。そこで惇氏は高校を中退して神戸に住まいを移し、高度経済成長に沸く建設業界に身を投じて、つるはし1本で土木作業員として出稼ぎを始めた。両親を早くに亡くした影響もあったのだろう。ほどなく惇氏は、より稼ぎの期待できるとび職に転ずる。大手ゼネコンの手がける建設現場は、慢性的な人手不足。自らの専門分野だけを突き詰めるようでは足らず、オールラウンダーが求められていた。
「父は大手の所有する建設機械の操作をつぶさに観察していたようで、オペレーターが不足するときには代打を務めることもあったようです。そこからクレーンや杭打ち機といった機械の扱いを身に付け、とび職兼職長として少しずつゼネコンからの信頼を獲得していきました」
尼崎港で点検・整備を終え、出航体制を整える
やがてとび職から建設業へと完全にシフトした惇氏は1962年(昭和37)、次男の和徳氏と会社の前身となる吉野組を創業。新幹線工事に代表される大規模な案件を任されるまでになる。大阪万博の開かれた1970年(昭和45)には、吉野建設株式会社に商号変更。大阪に軸足を移し、杭打ちに特化する形で積極的な設備投資を繰り返して、そのたびに成長を遂げていった。かといって、家族を支えたいという惇氏から貪欲さが失われることはなく、昭和から平成に時代が移り変わろうとするころには、さらなる高単価が見込まれる海上工事に一層力を入れた。浅瀬での工事も可能な大小の特殊船舶を購入し、尼崎港に新たな拠点を設けて技術と体制の拡充を図った。そんな折、1995年(平成7)に阪神・淡路大震災が発生。吉野建設は自社の船舶で港湾の岸壁工事やがれき撤去を行ったほか、チャーター船を手配して毎日50人から100人前後の従業員を「海上通勤」という形で被災現場へと投入した。阪神間が未曾有の災害に見舞われたこの年の夏に入社したのが、ほかでもない吉野社長その人だった。
人を大切にする思いからあるべき経営者像を学ぶ
幼いころから従業員にかわいがられていたという吉野社長。大学では工学を専攻し、卒業後は大手ゼネコンに入社するも、その後の身の振り方については建設業とはまったく違う道も考えたという。しかし、周囲からの「いつ帰ってくんの?」という声をむげにはできず、約4年にわたる現場経験を経て吉野建設の門を叩くこととなった。
知恵と工夫が息づく船上工具
入社後は施工管理者として震災の現場で汗を流し、一定の区切りを見ると事務方へ。それでも、すでに海上工事を主軸としていた会社の実態を把握したいと、自ら申し出て現場作業員として従業員と肩を並べて働いた。
「やはり実際に機械を動かす人とはコミュニケーションを持っていたいと思い、半ば強引に現場に入らせてもらいました。もっとも父は早く経営の一翼を担ってほしかったようですが(笑)」
船舶内に整備された会議室
2年にわたる修業期間を経た吉野社長は、今度は営業として長いキャリアを積んでいくことになる。営業の一線で活躍する一方では取締役を任され、惇氏の右腕として会社に貢献した。この間、吉野社長は父から経営者としての指針を吸収したという。
「父は設備や会社規模の拡大にとどまらず、従業員の人間力も大切にする人でした。あえて明確なルールは作らずに、責任ある仕事を信じて任せる。その姿勢に学ぶところは大きかったです」
海を舞台に挑戦を続けた創業者
陸上工事で培ったノウハウを海上や河川にまで応用した創業者は、技術に厳しい人だった。収支の面でも人一倍のこだわりを持つ人だった。だが、親子で酒をくみ交わすようになってからは、のんびりとした一面と時勢にうまく乗るだけの運を持つ父だと思えるようになった。惇氏は80歳を迎えても意気軒昂で「90歳までは社長をやりたい」と話していたという。しかし、そう語ったわずか数ヵ月後に突然の別れが。業界に確かな杭を打ち込んだ経営者を失ったショックは、誰よりも吉野社長の双肩に重くのしかかったことだろう。
伸び盛りの産業を支える盤石な地盤固めへ前進
実務的な部分の引き継ぎができないまま、この世を去った惇氏。2020年、新たにトップの座に就いた吉野社長は、経理部長、総務部長ら古参の従業員の助力を得て、一歩ずつ経営のなんたるかをつかみ取っていくことになる。
「営業歴が長いぶん、個々の案件には詳しくても会社のことを俯瞰できずにいました。とはいえ、吉野建設という看板がある以上は質の悪い仕事はできない。時代の変化にも対応していく必要を感じました」
全国各地の海上工事に対応する船舶体制とスパッド固定方式による安定施工
新社長が真っ先に着手したのが、経営の徹底的なマニュアル化だ。工事日報を統一し、工程や予算が当初の予定通りに進捗しているかを可視化した。書類を通してオフィスから現場を見渡せるようになったことは、「吉野ブランド」をより堅実なものにした。これはいわば、仕様書に準拠した経済設計が求められるようになった時代のニーズを受けた変革だった。
吉野社長は自らについて「大きな変化や成果を挙げるタイプではない」と謙遜する。吉野建設の仕事も、橋脚、岸壁、護岸、建物といった重要な社会インフラを支えるものだが、基礎工事とあって工事が完了すればその成果は目に見えない。派手さはないかもしれないが、両者に共通するのは土台をきちんと固めるという重要な役割だ。
事業への想いを熱く語る吉野社長
近年は巨大なクルーズ船やLNG船の建造が相次ぎ、それらが着岸できるだけの大型港湾施設が求められている。また、防衛施設の増強も盛んに行われるようになっている。東京湾においては、新海面処分場の埋め立てが進んでもいる。いずれについても、従来以上の安全性の担保が求められるのは明らかだ。
「測量、工程管理、安全管理などのDXは喫緊の課題だととらえています。一方では個々の従業員に対する働き方改革も講じていかなければなりません。新たな付帯技術と熟練工の技を融合させることで、さらなる社会貢献ができればと考えています」
やみくもに会社を大きくするのではなく、目の行き届く範囲で確実な仕事を積み重ねる。実直な経営者のもと、吉野建設の経営地盤はより強固なものになっていくはずだ。
What is
独自開発の保有船舶
先人の知恵が存分に注入された多種多様な作業船舶群
売上の約8割を海上工事が占める吉野建設では、クレーン船、タグボート、土運船など30隻を超える作業船舶を保有。なかでもクレーン船は、かつてクレーンと船体が一体になった高価なものが主流だったところを、台船の上に既存のクレーンを積載することでコスト低減を実現。結果として工事単価の圧縮にもつながり、従来よりも少ない排水量は水深の浅い河川での作業も容易にしている。さらに造船会社と共同開発した油圧式のクレーン船は、静音性にも優れた性能を発揮する。また、クレーン船のすべてで船体の四隅にスパッドと呼ばれる杭を搭載。いかりの代わりにスパッドを海底に打ち込んで船体を固定することで、波浪の影響を最小限に抑えた安全施工を可能にした。ここ最近では、杭を斜めに打ち込むことで本数の削減と精度向上を図るパイルキーパーという装置に対応した船舶も開発。桟橋や岸壁といった特に強度の求められる工事で活躍している。こうしたさまざまなニーズに応える船舶の存在こそが吉野建設の強みだ。吉野社長に言わせれば「父は安全意識が乏しいと同時に、道具のない時代に育った人です。とにかく知恵をしぼり出すことに才覚があったのだと思います」とのこと。滑車とおもりで杭を打ち込んでいた時代を知る会社だからこそ、令和の現代もできる限りの策を尽くしている。
企業情報
吉野建設株式会社
1962年(昭和37)に創業した総合建設業者。大手ゼネコンからの依頼を受け、日本全国の港湾施設や河川施設といった社会インフラの基礎工事を手がける。なかでも海上工事に長じており、作業用の船舶を数多く保有。安定的な経営基盤を築き、取引先から寄せられる信頼も厚い。
[ 本社 ]
大阪市福島区大開2-5-8
tel:06-6743-4944
fax:06-6743-4945
URL http://www.yoshino-kensetsu.co.jp

沿革
- 1962年
- 大阪市福島区海老江に吉野惇が吉野組を創業
- 1970年
- 吉野建設株式会社に商号を変更。土木・基礎工事、杭打ち工事などを中心とした総合建設業として事業を展開し、海上・陸上・河川など、建設・土木工事の幅広いニーズに対応する体制を構築
- 1990年
- 大型船舶や重機の導入、特殊油圧機器を活用することにより施工対応力を強化、海上工事での施工実績が蓄積され、企業ブランドを高める
- 2000年
- 土木・浚渫・水道施設・解体工事などにおいて施工分野を拡大。継続的に施工実績を積み重ね、インフラ・港湾・河川。建築基礎などの領域で事業を展開
- 2011年
- 東日本大震災を機に全国規模に施工エリアを拡大。パイルキーパーなど特殊機械を活用した大型杭打ち工事に対応
- 2020年
- 吉野明嗣が代表取締役に就任
大阪市福島区大開に新社屋を設立

