経営者に、聞く。LEADER INTERVIEW
大阪の街を、足場から支える

PROFILE株式会社岡本生コンクリート代表取締役会長岡本 真二氏
大阪の都市景観を基礎から支えてきた。
生コンクリートの製造・打設を通じて、
巨大プロジェクトを形にしてきたのは、
此花区に拠点を置く岡本生コンクリートだ。
グランフロント大阪にあべのハルカス。
誰もが知る商業施設の足場を固めてきた
会社の来歴とこれから先の未来について、
向上心も豊かな経営者に話を聞いた。
海運業から生コン製造へ時機を逃さず成長軌道に
始まりは、建材の海運業だった。大阪市内の海浜部に2つの拠点を構え、大手ゼネコンを相手に高品質な生コンクリートを供給するのは、岡本生コンクリート。現会長の岡本真二氏の父で創業者の初己氏が前身の岡本商店を開いたのは、大阪経済が万博景気に沸こうとしていた1965年(昭和40)のことだ。戦前に香川県に生まれて丁稚奉公で大阪に渡り、クリーニング業で生計を立てようとしていた初己氏。ところが、知人から生コンクリートの生産に用いられる砂や石といった骨材の需要が高まっていると聞かされ、方針転換を図る。折しも国策で瀬戸内海での砂利採取が進められている時期でもあった。初己氏は、弱冠20代にして建材の運搬船を購入。岡本商店を興し、瀬戸内を股にかける形で商いの世界に飛び込んだ。
司令塔のある本社オフィス
当初は高度経済成長の波にも乗り、順調に操業していた岡本商店。ピーク時で3隻の船を抱えていたが、景気が退潮傾向に入ると次第に海運による砂と石の販売では経営が立ち行かなくなってくる。
「そこで、親父は海から陸に上がることを決意したんです。最初はダンプ1台からのスタートで、府内を転々としつつ骨材の地場供給に舵を切りました。創業時から母も苦労をともにしてきました」
岡本会長がそう語るように、初己氏が岡本建材として装いも新たに再起を図ったのが、1975年(昭和50)のこと。若き経営者は人との出会いを何より大事にしたといい、その結びつきから得られた工事は片っ端から引き受けた。深夜帯の鉄道工事、小規模な工事など大手が敬遠する仕事にも率先して打ち込み、評判は徐々に業界内で知られるところとなる。
「いまでこそ隔世の感がありますが、当時は『24時間365日働きます』というのがモットーで。名刺やパンフレットにもその文言を記載し、少しずつ仕事を分けてもらってできることの幅を広げていきました」
圧縮強度試験や空気量試験などを通して、高い品質を担保する
安定軌道に乗ろうとしていた岡本建材が、生コンクリートに目をつけたのは1980年代に入ってから。建材販売を通して現場を見てきた経験から、やはり大手が手を出そうとしない規模の小さい工事に活路を見出したのだ。生コンクリート部門として、箕面市に関連会社の新工場を置いたのは1985年(昭和60)。それとほぼ同時期に生コン大手での修業を終えて入社した岡本会長は、社内ミーティングを率先して開催し、一流企業のノウハウを惜しみなく注入した。その翌年、手狭だった工場は現在の大阪市此花区に移転。近隣に同業がひしめくのをものともせず、勝負手に出た。
初代の教えにのっとり大手ゼネコンと渡り合う
入社間もない岡本会長が任されたのは、大手ゼネコンとの取引を見越したJIS規格の取得だった。必要な品質管理者の資格を取り、無事に審査を突破。こうした体制強化に向けた動きを自然と受け入れられたのも、幼少期からの「英才教育」があったからだ。
コンクリート全自動圧縮試験機
「父は人一倍世話好きで、従業員と自宅で宴会を持つこともしょっちゅうでした。そんな姿を子どものころから見ていましたが、背景には『従業員と家族を思う』『優しさと甘さは違う』という信念があった。かたや高校在学中、運転免許を取得したばかりのときに、4トンダンプの運転を命じられたときは面食らいましたけどね(笑)」
従業員の資格取得は全額補助
そこから岡本会長は品質試験と営業の二足のわらじで、会社の発展に貢献していくことになる。一連の変革のなかでも画期的だったのが、1995年に完成した地下街・ディアモール大阪の開発に携わったことだ。大手ゼネコンの厳しい品質基準をクリアする形で、コンクリート打設の一切を担当。長い「下積み期間」を経て委ねられた大型案件は、従業員の士気向上にも少なからず影響した。一流企業に追いつけ、追い越せで、コンクリート技士をはじめとする資格取得に向けた働きかけも強めた。
現場への納品前に最終確認を行い、安心・安全を届ける
「ゼネコンが求めてくるのは汎用品ではなく、より強度に優れた独自配合の高級品です。JIS規格以上の強度が求められるのが当たり前の世界で、最初に設計資料を見せられたときはレベルの高さに唖然としました」
それでも、岡本会長らは新たに与えられたミッションを愚直に形にしていった。大手と企業共同体を組むことも増え、その技術はさらに研ぎ澄まされた。岡本会長が社長に就任したのは、商号を現在のものに変更した2001年のこと。30代半ばで大役を務めることになったが、初己氏の意向で早くから業界や経営者の会合に顔を出しており、「自分は何も変わらなくていい」と腹をくくれたという。
”地場産業” の進化に向けこれまで以上の信頼を
グランフロント大阪、大阪駅周辺の再開発、近いところでは大阪・関西万博のパビリオンなど、数々のビッグプロジェクトに関わるようになった岡本生コンクリート。現在もIR事業に参画し、事業を進めている。その間、岡本会長の指揮下で工場の拡充や残土処理を担うグループ会社・坂出興産の設立など、さまざまな施策が打ち出された。
工場で練り混ぜた生コンクリートを90分以内に確実に現場へと納品
順調に企業としてのステップを踏んでいたが、2015年に初己氏が死去。精神的支柱を失った会社に動揺が走るのは明らかだったが、それでも創業者は岡本生コンクリートが向かうべき針路を遺していた。大手セメントメーカーの直系ではない独立系企業のなかでは、大阪市内でも一、二を争う生産量を誇ることも、与えられた現場は完成まできちんとやり遂げる責任感も、初己氏の教えあってのことだ。
骨材運搬船が九州・瀬戸内地方から大阪北港のストックヤードに直接接岸する
目下、岡本会長は「仕事が趣味」だった父の思いを受け継ぎつつもチームワーク強化を通じて、一層の企業価値向上に取り組む。取引先との折衝、それを受けたコンクリート製造、現場での打設、これらいずれもがうまく連携していないと、安定した製品供給は実現できないと考えるからだ。
休憩や昼食に利用できる食堂スペース
「報連相ができていないと、ボタンの押し間違え一つですべてが止まってしまう世界です。現場と社内の連携、そして向上心を持って知識・技術の習得を目指すことは、常日頃から社内に伝えています。父を失ってから10年あまりの歳月が経ちますが、それゆえに従業員ががんばっている面もありますね」
従業員のプライベートについて相談に乗ったり、地元・此花区のイベントに積極的に協賛したりと、父親譲りの面倒見のよさを見せる岡本会長。「設備面では、企業間の格差はなくなってきている」と前置きしつつ、次のように会社の将来像を語ってくれた。
「コンクリートから人へ」の時代を乗り切り、インフラの強靭化に貢献
「父が遺した目標で、まだ達成できていないものもあります。そこをクリアして『大阪で生コンといえば岡本』と呼ばれるくらいの信頼を得たい。打設まで時間が限られる生コンクリートは、いわば『地場産業』ですから」
快活な口ぶりの経営者の視線は、足元はもちろんさらなる高みに向けられている。
What is
岡本グループのシナジー効果
20年前に構築されていたコンクリート循環システム
岡本生コンクリートを中核としながら、岡本建材、坂出興産、讃岐運輸の4つの企業から構成される岡本グループ。岡本建材は祖業である建材販売を、坂出興産は残土処理、水処理、コンクリート廃棄物処理といった中間処理を、讃岐運輸はグループ全体の製品輸送をそれぞれ担っている。言わずもがな、坂出興産と讃岐運輸の名は岡本会長の両親が生まれ育った香川県の地名がその由来だ。なかでも剪断と攪拌に長じる高性能の破砕機をはじめとする最新鋭の設備を揃えた坂出興産では、鉄筋コンクリートに用いられるリサイクル製品を多く生産・販売。もっとも、こうしたサイクルを回すのは岡本会長の長年の腹案だったそうで、SDGsという言葉の登場を待たずに20年ほど前にすでに大手ゼネコンとともに特許取得、商標登録にまでこぎ着けていたというから驚かされる。当時を振り返って「どこにも相手にされなかった」と苦笑する岡本会長だが、先見の明があったのは間違いない。同業他社が目を向けなかった先駆的な取り組みにようやく時代が追いついてきたなかで、岡本グループは限られた資源を有効活用することで地球環境を守ると同時に、生コンクリート製造から派生する付加価値を高める―岡本グループは「大阪で一番の生コン業者」を目指し、一歩一歩たゆまぬ歩みを前に進めていく。
企業情報
株式会社岡本生コンクリート
1965年(昭和40)創業の生コンクリート製造業者。大手ゼネコンを主要顧客に、大阪市内を中心とした生コンクリートの製造・打設を手がける。梅田スカイビル、ディアモール大阪、グランフロント大阪など、名の知れた施工事例も多数。近年はリサイクル事業にも力を入れている。
[ 本社 ]
大阪市此花区常吉2丁目2-27
tel:06-6462-5803
fax:06-6462-5802
URL https://okamotogroup.jp/

沿革
- 1965年
- 岡本初己が岡本商店として建材事業を創業、建材の海運業をなす
- 1975年
- 岡本建材に商号を変更
- 1985年
- 生コンクリート事業部門として、箕面市にグループ企業・有限会社内山建材を設立
- 1986年
- 内山建材が大阪市内に工場移転
- 1988年
- JIS表示許可を受ける
- 1989年
- 内山建材が内山生コンクリートに商号を変更
- 1993年
- 内山生コンクリートが株式会社に組織変更
- 1995年
- 有限会社岡本建材を株式会社岡本建材に改組し、大阪広域生コンクリート協同組合に加盟
- 1996年
- 現在地に新工場設立
- 2001年
- 内山生コンクリートが岡本生コンクリートに商号を変更、岡本真二が代表取締役社長に就任
- 2008年
- 新JIS表示許可を受ける
- 2013年
- 株式会社坂出興産を設立
- 2018年
- 株式会社讃岐運輸を設立
- 2020年
- 内山忠行が代表取締役社長に就任、岡本真二が代表取締役会長に就任

