経営者に、聞く。LEADER INTERVIEW
産業廃棄物の未来をデザイン

PROFILE株式会社近畿道路資材代表取締役社長岩尾 佳明氏
“フューチャーデザイン”を旗印に、
建設資材のリサイクルに取り組むのは、
社長就任2年目、まだ35歳の若武者だ。
SDGsという概念が存在しない時代から、
建設業界の持続可能性に寄与し、
阪神間で随一の規模に成長した会社を、
どのように“デザイン”していくのか。
2代目としての使命、将来展望を聞いた。
SDGsを先取りする形で 発展を続けてきた40余年
産業廃棄物が20の類型に区分けされることを知る人は、きっとそう多くないだろう。わかりやすいところでいえば、金属くず、木くず、廃油、食品類が含まれる動植物性残さなどの分類が存在するが、尼崎に拠点を置く近畿道路資材がその業において手がけるのは、主にがれき類だ。ビルの建て替え、高度経済成長期にその多くが整備された高速道路や橋梁、トンネルの更新というように、都市インフラが成熟した現代はさまざまな建設現場から、コンクリートやアスファルトなどの産業廃棄物が排出される。同社ではこれらを回収し、国が定める基準にのっとり破砕処理を施して、道路舗装の下でクッションの役割を果たす再生路盤材や再生砂として販売してきた。
解体現場から届けられた巨大なコンクリート片
いかにも今日のSDGsの考えにかなった企業活動かのように思えるが、設立は1980年(昭和55)。現在の岩尾社長の父、尚明氏が大手道路工事会社から独立したことに端を発する。中学生のころから建設会社でアルバイトを始め、大学にはトラックで通学していたという仰天のエピソードを持つ尚明氏。10年間の「下積み」もあってか、就職先の現場でも短期間のうちに多くのノウハウを吸収し、わずか1〜2年ほどで近畿道路資材を立ち上げた。若き経営者は当初、道路施工に従事するも前職の先輩から「今後はリサイクルの時代が来る」とのアドバイスを受け、1980年代半ばには許認可を得て産業廃棄物の収集・運搬へと事業をシフト。埋立地であるポートアイランドや六甲アイランドの整備においても、会社は力を発揮した。
法律で定められた40ミリの粒度にまで破砕する
「我々にとって一番の転機となったのは、やはり阪神・淡路大震災でした。24時間365日体制でがれきの処理を続けたこともあって、新規の依頼も舞い込むことになった。ないに越したことはありませんが、あの痛ましい経験が近畿道路資材を次の軌道に乗せてくれたのだと思います」
阪神・淡路大震災からの復旧・復興は比較的早く進んだというが、その背景には当時の同社を支える従業員の努力があったのだ。さらに震災の翌年には特に被害の大きかった神戸市に支店を設置。同時に本社工場の破砕設備を増強し、未曾有の災害への対応を盤石にした。地域密着型ビジネスモデルにより中小零細企業が多く、複数の事業所を構える会社が少ない業界にあって、尚明氏は大きな賭けに出たのである。その後も神戸市内に共同合材プラントや建材センターを開設した近畿道路資材。いまでは年間約20万トンもの産業廃棄物を処理する能力を有するまでに至っている。
自らの立ち位置を理解し 組織を築く姿勢を養う
2024年、父が40年以上かけて築き上げた会社を受け継いだ岩尾社長が目指すのは、「出会えてよかった」と感じてもらえる経営者だ。ちなみにその経歴をひも解いてみると、誰の目にも華々しく映る。高校時代には花園にも出場したラガーマンで、総合商社での就職も経験しているのだ。しかし、そこにおごりは一切ない。
「高3で花園に出場したのはよかったのですが、15人いる同期のなかで唯一公式戦のグラウンドを踏んだことがなくて(笑)。ただ、それでもひたむきに練習に取り組んでいると、周囲が『一緒にやろう』と声をかけてくれました。花園を決めた試合後に『岩尾がいてくれたから優勝を決められた』と言われたとき、これが自分の果たすべき役割ではないかと感じたんです」
尼崎工場の周辺では同業他社がしのぎを削る
大学でも強豪で鳴らすラグビー部に所属するが、岩尾社長が選んだのはトレーナーとしての道。実力校出身者を相手にサポート役に徹したほか、体育会全体を巻き込んで学生スタッフの底上げを図る団体を創設した。スタッフのレベルアップは、プレーヤーのレベルアップにもつながるとの考えがあったからだ。自ら別の部活動に顔を出し、そこで得られた知見をラグビー部に還元することもした。プロのトレーナーも在籍していただけに、先輩や同期から「一緒にトレーニングメニューを考えてほしい」と言われることが何よりうれしかった。横のつながりを強め、たとえそれが後方支援であったとしても、誰かと成長をともにするところに自分の居場所を見つけた。
商社勤務においても、岩尾社長は一歩引いた視点を忘れることはなかった。商社マンというだけでちやほやされることもあったというが、それも先人たちがあくなき価値創造を積み重ねてきた評価の表れと受け止めた。そんな環境に身を置いたからこそ、産業廃棄物を扱う家業が、社会から正当に認知されていないのではとの問題意識を持つようにもなった。
許認可事業のため、各工程においては法令遵守が徹底されている
なくてはならない企業へ 破砕を業にしつつ結束を
この国に新たな建造物ができる以上、そこに産業廃棄物が発生するのは自明の理だ。当然、誰かが適切な方法で処理する社会的な責務を負わなければならない。一方で人々が産業廃棄物に関する情報に触れる機会は決して多くなく、仮にあったとしても不法投棄のような望まれないニュースであることが少なくない。岩尾社長には忘れられない出来事があるのだという。
「10年ほど前に家業に入り、3年が経ったころに採用した当時20代の従業員が急に退職を切り出してきたんです。話を聞けば、彼の勤務先を知った交際相手のご両親に結婚を猛反対されたということでした。ショックでしたが、これが現実だと飲み込みましたね」
そこから「家族、友人、関わる人すべてに認めてもらえる会社にしよう」と決意した岩尾社長。
法律で厳しく規格が定められている製品での差別化は厳しいとの判断から、従業員の魅力を高めて「廃棄物コンサルタント」として付加価値を提供する方向に舵を切った。「安い、早い」を求めるのなら、同業他社を紹介すればいい。複雑な形状の廃棄物処理や、より踏み込んだリサイクルといったニーズには、自社の設備で応えればいい。利益一辺倒にならないことで人の魅力を高め、解体工事の現場が喜ぶ柔軟な提案ができるコンサルティング体制の構築を進めているのだ。
阪神尼崎駅前に構えるオフィスにはコーポレートカラーのグリーンがあしらわれている
岩尾社長がトップに立ってから、すべての従業員に配られたカードがある。そこには自身が前向きな言葉で綴った「お客さまとの約束」「同僚との約束」「地域社会との約束」と、近畿道路資材で働くことに誇りを持てるかを問うメッセージが記されている。
「お客さま、同僚、地域社会のどれか一つが欠けても成り立たないのが私たちのビジネスです。このカードを共通言語に、仲間と意見交換を繰り返していけば、おのずと企業価値や会社への帰属意識は高まっていくと期待しています」
がれきは破砕しても、組織としてはしっかりと結束してみせる。これまでのすべての経験を動員し、岩尾社長は社会になくてはならない企業を形づくるべく歩みを進めていく。
What is
コンクリートを“元の姿”に戻すことで 資源を有効活用
可搬式のため技術を多方面に展開するのも容易
コンクリートを路盤材へと生まれ変わらせている近畿道路資材だが、本来の用途であるコンクリート資材に再生させる技術は未だ発展途上の段階にある。そもそもコンクリートは石と砂、水とセメントを混合することで作られる。つまりは表面に付着したセメントを剥離することさえできれば、骨材である石を再び取り出すことは可能だ。他方ではアスファルトの99%が「本来の姿」でリサイクルされている現況もあり、同社では2年ほど前から再生骨材製造機を用いたコンクリートの完全リサイクルに取り組んでいる。もともとは旧知の千葉県の企業が開発していた機器を特許権ごと購入。技術管理、製造管理などにさらなるブラッシュアップをかけ、この3月にはJIS規格も取得した。「現状だと路盤材を街に埋めているだけで、これでは最終処分場と変わらない」とは岩尾社長の弁。コンクリートを元の姿に戻し、限られた天然資源を山や海から削り出す量を減らすことで、環境負荷の抑制を狙う。また、純粋な天然資源に比べて価格面で安い骨材を提供できるという点も、建設現場からすれば大きなメリットだ。今後は機械メーカーと改良を重ね、いっそうの製造能力の向上を目指すと同時に設計自体もコンパクトなものとする予定。日本と同様に、資源の少ない島国や災害大国への輸出も視野に入れている。
企業情報
株式会社近畿道路資材
1980年(昭和55)設立の産業廃棄物の中間処理業者。阪神間の解体工事の現場から発生するがれき類、建設発生土、ガラスくずを再生資材に変え、持続可能な社会づくりに貢献する。コンクリートがらを原料とした路盤材の製造に特に強みを持ち、近年は特許技術の強化にも注力する。
[ 本社 ]
尼崎市御園町24 尼崎第一ビル202
tel:06-6418-3771
fax:06-6418-3799
URL https://kdsgr.co.jp
[ 尼崎工場 ]
尼崎市元浜町1丁目77番地

沿革
- 1980年
- 尼崎市道意町に、資本金200万円で株式会社近畿道路資材設立、ほどなく資本金を800万円に増資
- 1984年
- 尼崎市元浜町に本社を移転、尼崎市・産業廃棄物収集運搬業許可取得。その後、阪神間の自治体において各種許認可を得て、5年おきに更新
- 1986年
- 資本金を1100万円に増資
- 1992年
- 資本金を1900万円に増資
- 1996年
- 神戸市中央区多聞通に神戸支店を設置
本社工場に新破砕工場が完成。資本金を2000万円に増資 - 1999年
- 神戸市兵庫区築地町に神戸支店を移転
- 2001年
- 神戸市西区櫨谷町に共同合材プラントを建設
神戸西事業所を開設 - 2006年
- 本社工場にガラス破砕設備が完成
- 2020年
- 神戸市西区押部谷町に神戸西建材センターを設置
- 2021年
- 現在地に本社を移転
- 2024年
- 岩尾尚明に代わり、岩尾佳明が代表取締役社長に就任
大阪市北区梅田に大阪営業所を設置

