経営者に、聞く。LEADER INTERVIEW
好奇心が生む“測る”の未来

PROFILE北斗電子工業株式会社代表取締役社長中野 学氏
鉄鋼、自動車、家電、さらには半導体。
我々の生活を豊かにする工業製品は、
“測る”という工程を抜きには語れない。
求められる性能をきちんと満たすために。
あるいは誰もが安心して使えるように。
計測器、検査装置というニッチな業界で
マルチな働きを見せる企業の2代目に、
自社のこれからを“測って”もらった。
産業界の“お題”に応え“測る”技を錬磨する
私たちの暮らしを支える工業製品は、いずれも「測る」という工程を踏んで社会に送り出される。この品質担保に欠かせない計測、検査の世界で独自の地位を築いているのが、北斗電子工業だ。同社が手がける計測器、検査装置は、鉄鋼、自動車、家電、半導体と幅広い産業分野を網羅。徹底的な汚染制御がなされたクリーンルームから粉塵の舞う製鉄所までをフィールドとし、磁気、静電容量、画像処理など対象に応じた多彩な計測手法を駆使して、製品に「お墨つき」を与える役割を担ってきた。磁気や超音波といった特定の技術に長じた競合はあっても、これだけ多くの検査手法を総合的に操る会社は国内を見渡してもそうそう見当たらない。

特注品対応のため多種多様な資材をストック
さらにハードウェア、ソフトウェア、メカニクスの各領域にスペシャリストを擁し、設計から生産までをワンストップで完結。ただ測るだけではなく、高温高湿あるいは高所などあらゆる使用環境に耐えうるだけの機器を、オーダーメイドで形にしている。三菱電機、日本製鉄、東京エレクトロンというように、日本のものづくりを代表する大手企業との間に厚い信頼関係が結ばれているのも、こうした手数の豊富さと無関係ではないだろう。

組み込み系ソフトウェアで製品を制御
「言うなれば、案件ごとに『お題』が変わる。大手からのレベルの高い要求に答えを出し続けてきたのが、半世紀以上におよぶ北斗電子工業の歩みです」
一つひとつていねいに、言葉を選ぶように語るのは中野学社長。北斗電子工業のルーツである北斗エレクトロニクスの創業と同年に生を受け、根っからの「技術屋」だった現会長で父の浩一氏の背中を見て育った人物だ。

「職人の手仕事」ともいえる作業を繰り返す
創業者たる浩一氏は、もともと回路設計メーカーに勤務。航空機の翼に用いられる振動試験装置などを手がけていたが、不運にも会社の経営破綻という憂き目に遭った。それでもエンジニアとしての責任感から、サラリーマン時代の顧客を相手に個人でアフターフォローに乗り出し、これが起業の礎となった。尼崎に構えた工場はおよそ10坪ほど。時は1968年(昭和43)、従業員わずか4名からのスタートだった。
「測定器をはじめ生産に必要な機器は、教員だった母の退職金で賄ったと聞いています。父の向こう意気の強さ、それを支えた母の我慢強さ、そしてお互いの信頼関係は心から尊敬できますね」
屋号にある「北斗」は、母方の祖父が営んでいた製版所・北斗製版から受け継いだ。それは仕事熱心でありつつ不器用な父なりの愛情、リスペクトの表れだった。

ものづくり好きな少年が 家業に入るまでの道ゆき
当初は大手家電メーカーを相手にビジネスを展開した北斗エレクトロニクス。しかし、70年代に入ると住友金属工業の懐に入り込むことに成功し、事業は拡大を見る。浩一氏は手狭になった尼崎の工場を引き払い、妻の生まれ故郷だった西宮に事業所を拡大移転。同時に法人化を果たした。鉄鋼の分野では、鉄の高度解析に資する基盤設計に始まり、炉内温度測定、生産ラインの探傷といった技術を提供。いまで言うところのベンチャー企業として最先端の仕事を次々にこなし、信用を積み上げていった。その評判は他業種の知るところとなり、80年代にかけて顧客層を広げていくことにもなった。

中野社長もはんだ付けから技術習得に励んだという
会社の成長と同時に育った中野社長は、幼い頃からものづくりに強い興味を示す少年だった。プラモデルでは飽き足らず、子どもながらに自転車を「カスタム」する熱の入れよう。乗り物好きが高じて大学時代はバイクに夢中になり、一時はレーサーになる気すらあった。北斗電子工業に入ったのは、趣味に没頭するあまり大学を卒業する時期になって、浩一氏に「明日から来るやろ?」と声をかけられたからだ。父は、我が子が生まれ持った手を動かす才能を見抜いていたのだろう。はんだ付けに始まり、設計・製図、溶接、材料力学へと続く地道な知識や技術の習得も、中野社長は率直に楽しめたのだという。

回路によるシステム制御が会社の源流にある
「材料の特性や強度から逆算して装置の設計に落とし込む過程に、好奇心をくすぐられました。機械加工や基盤の実装を担う協力業者の職人さんたちには揉まれましたが、分からないことは聞くしかない。必死になって食らいついていましたね」
こうして入社から30歳を迎えるまで、機械設計の現場で実力を蓄えた中野社長。だが、予期せぬ事態が青年を襲う。それは、パニック障害だった。仕事との因果関係はなかったとはいえ、作業に支障が出る状況に中野社長は離職という苦渋の決断を下した。

思いもせぬ転換点を経て 時代に沿った技術提供を
北斗電子工業を去った中野社長が行き着いたのは家業とは異なる活路、すなわちカーデザインスタジオの立ち上げだった。自らの「好き」を生業とすることで、病をうまくコントロールしようと考えたのだ。その甲斐もあって、パニック障害は徐々に寛解。一方で自動車のレストアという仕事の厳しい現実も体感し、40歳にして社業への復帰を決意した。与えられた役職は、取締役営業部長。会社の顔として取引先と向き合い、その道のプロフェッショナルとのヒリヒリするようなやりとりを通して、会社に求められているものとは何かを学び取っていった。営業の前線で、手練れの技術者から実力を「測られる」経験もした。浩一氏から社長業を引き継いだのは、2011年のことだった。

ハードウェアに関しても客先のニーズに合わせて作り上げる
「父は技術を磨くことに精魂を注ぎ込んでいましたが、私は周囲を見るタイプです。社会情勢が大きく変わるなかでは、取引先からの要求も変わる。年々厳しさを増すコンプライアンスに則って操業するという意味では、車の運転にも通ずる部分があるかもしれません」
鉄鋼から派生する形で、洋上風力発電やガスといった未来につながるエネルギー領域にも守備範囲は広がった。顧客の要望は、ドローンやAIの活用にとどまらず環境配慮にもおよぶようになった。北斗電子工業が負う使命は大きくなるばかりだが、中野社長は今後もがむしゃらに最適解を導き出していく構えだ。

自動車好きが高じて社用車のカスタムにも余念がない
「とにかくうちは技術面でどこにも負けない自負がある。それは測る技術の黎明から歩調を合わせて成長してきた蓄積ゆえです。ただ、そこにあぐらをかくのではなく、お客さま、社員やその家族、社会を幸せにする企業を目指したい。そのためには誠実に時代の潮流に合った経営を貫くのみです」
多くのものづくり企業がそうであるように、技の伝承という課題を抱えるのは北斗電子工業も同様だ。しかし、この国の産業の発展は測る営みをなくして達成できるものではない。人の心を推し量れるとともに責任感にあふれた経営者は、必ずや人や社会を慮った先端技術を具現化させることだろう。
What is
少数精鋭での一貫したものづくり
技術の引き出しを 最大の営業ツールにして 信頼獲得

地中埋設管の自走式計測器、ガスタンクの表面劣化を調べるロボット、コークス炉の温度測定装置など、用途に応じさまざまなセンサーを搭載した検査装置を研究開発する北斗電子工業。これらインフラ関連はもちろん、身近な家電や自動車にもその知見は活かされているが、社員は13名と少数精鋭だ。しかも、この20年ほどの間に営業部隊を廃止したというから驚かされる。その理由は、大手メーカーの開発部、生産技術部と対等に渡り合える知識・技術を持つベテランエンジニア陣の存在。客先に出向き、要求される検査基準を十分に理解したうえで、必要とあらばその場で与えられた課題をクリアできる「技術営業」のスタイルで、迅速かつ一貫性のある製品提供を可能にしている。中野社長によれば、ベテラン勢は「検査技術の進展とともにキャリアを重ねてきた世代なので、引き出しの多さが違う」という。反面「ものづくりのおもしろさを若年層に伝えていくことが課題」とも語るが、製造業対抗ミニ四駆大会に出場したり、中学生を対象とした職場体験活動「トライやる・ウィーク」に参加したりと、策は打っている。重層的に多面的に築き上げてきた「北斗クオリティ」、そして中野社長自身が口にする「知的好奇心が生み出す圧倒的技術力」は、時代が変わっても継承されていくことだろう。
企業情報
北斗電子工業株式会社
1968年(昭和43)創業の計測器・検査装置メーカー。磁気探傷、微小静電容量計測、画像処理に秀で、ハードウェアからソフトウェアまで一貫したものづくりを行う。300以上を数える顧客は製鉄・鉄鋼、自動車、半導体と幅広い分野におよび、その9割を上場企業が占めている。
西宮市名塩東久保2-36
tel:0797-62-0131
fax:0797-61-0066
URL:http://www.hokuto-ele.co.jp

沿革
- 1968年
- 中野浩一が北斗エレクトロニクスを創業
- 1972年
- 北斗エレクトロニクス工業株式会社に改組、電子応用機器を開発・設計・製作・販売
- 1976年
- 明光電気株式会社と合併し、株式会社北斗明光エレクトロニクスとして営業を展開
- 1981年
- 北斗電子工業株式会社に社名を改める
- 1990年
- 前年からの工事が完了し、新社屋が竣工
- 2005年
- ISO14001:2004取得
- 2008年
- ISO9001:2008取得
- 2009年
- 西宮市優良事業所顕彰受賞
- 2010年
- 本社を現在地に移転
- 2011年
- 中野学が代表取締役社長に就任
- 2017年
- ISO14001:2015、ISO9001:2015取得
- 2022年
- ひょうご産業SDGs推進宣言企業登録
- 2023年
- 健康経営優良法人に認定
- 2024年
- 中野学が西宮市中小企業振興功労者に選出
- 2025年
- 連携事業継続力強化計画 認定