HOME街の社長夢を語る“後発組”だからこそ描ける、和菓子の将来像
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HEART INTERVIEW
株式会社髙山堂 代表取締役社長 竹本 洋平 氏

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“後発組”
だからこそ描ける、
和菓子の将来像

株式会社髙山堂

代表取締役社長 竹本 洋平 氏

あましん サクセスネットクラブ 監査役

万博を契機にした共創で 大阪みやげの新定番を

「300年、500年選手は当たり前の業界。小回りの利く後発組だからこそ、和菓子になじみのない層を取り込む役割を果たしたいんです」。5代目当主という重みある肩書きとは裏腹の柔らかな口ぶりに力が込もる。声の主は、兵庫と大阪に6店舗を構える和菓子店・髙山堂の竹本洋平社長。2025年の大阪・関西万博を見据え、業界に新風を吹き込むべく奔走する人物の姿は、取材当日も多くの人でごった返す百貨店の催事場にあった。

自ら同業に声をかけ、高校生や広告会社とも手を携えて進めるのは「あたらしい大阪みやげ計画」。国際的な祭典を控える都市が、京都の生八ッ橋、広島のもみじ饅頭などと肩を並べるみやげ菓子の定番を欠いてきた事実に対する、当事者ゆえの問題意識が出発点だ。昨秋に始まった共創は、新感覚のようかんブランド「大阪ええYOKAN」として結実。カラフルなもの、洋菓子の手法を取り入れたものなど一連の商品群には「パビリオン」の名が冠され、博覧会よろしく大阪のお菓子店それぞれの個性や趣向を楽しめる。すでに複数回実施する販売イベントには若者も目立ち、2年後へ弾みのつく盛況ぶりだが、万博はあくまで通過点。「祭りのあと」にも残る菓子文化を築くことこそが、竹本社長の本懐だ。

和菓子の裾野を広げたい 変わらぬ思いを推進力に

明治半ばに大阪で創業した髙山堂は先の大阪万博にも粟おこしを出展、「社屋を建て替えるほど」のヒットを記録するも、長くは続かなかった。そこでイメージを刷新しようと大福や饅頭の製造強化による原点回帰を図り、1987年(昭和62)には苦楽園に出店。のちに本社も西宮に移し、阪神間モダニズムの息づく地で現代的な感覚を取り入れた菓子づくりというスタンスを確立させた。2019年に竹本社長が当主を襲名して以降も、米粉のバターサンドの新ブランド「TAKAYAMADO AMATSUGI」の立ち上げをはじめ、柔軟な経営戦略が続く。

目下進行中の「総本店計画」では、市内に点在する本社、工場、店舗を統合する構えで、ガラス張りの工場で職人が働く様子を日常風景のひとつにしたいという。それもこれも、和菓子の裾野を広げたいと願うからこそ。業界きってのアイデアマンは、その一心で動き続ける。

企業情報

株式会社髙山堂

株式会社髙山堂

1887年(明治20)、大阪市東区平野町(当時)にて創業。「一菓素心」を経営理念に、伝統の枠にとらわれない菓子づくりを展開。大阪・関西万博の共創パートナーとして、異業種との連携にも積極的に取り組む。

兵庫県西宮市津門川町2-36
URL https://www.takayamado.com

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